知られざる日本の山林王たち

第八回 現代に生きる日本一の山林王(後)

プロフィール

のむら すすむ/1956年生まれ。ノンフィクションライター、拓殖大学国際学部教授。
上智大学外国語学部英語学科中退後、フィリピンに留学。アテネオ・デ・マニラ大学で学ぶ傍ら取材・執筆活動を始める。帰国後、『フィリピン新人民軍従軍記』(講談社+α文庫)を発表。アジア・太平洋地域、先端医療、メディア、事件、人物・企業論などの分野で取材と執筆を続けてきた。著書に『コリアン世界の旅』(講談社文庫・大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞受賞)、『アジア 新しい物語』(文春文庫・第11回アジア太平洋賞受賞)など。他に、創業百年を超える日本の老舗企業の生き残りを丹念に追った『千年、働いてきました』(角川グループパブリッシング)、在日中国人の「現在」に迫った『島国チャイニーズ』(講談社)がある。
朝日新聞、読売新聞の書評委員を歴任。講談社ノンフィクション賞選考委員。

名を継ぐということ

「日本一の山林王」とよばれる島根の田部(たなべ)家25代目当主・田部真孝(まさたか)さんは、24代目にあたる父親から、跡継ぎの話をじかにされたことはない。

 だが、父をささえていた大番頭や番頭たちには、物心ついたころから、

「いずれ、やらにゃいけんですから」

 と、おりにふれ言われていた。

 祖父の偉業も、しばしば話題にのぼった。ながらく島根県知事をつとめた23代目・田部長右衛門(ちょうえもん)が、いかに豪快・太っ腹な人柄で、どれだけ地元に尽くしたことか。

 23代目は実業家としても活躍し、地元紙(現在の「山陰中央新報」)が経営危機で読売新聞社に売却される寸前に買いとったり、私財を投じて、いまの島根県立中央病院の前身となる、県下最大の病院を建てたりした。

 文化振興の面では、代々の長右衛門と同じく、茶道の普及につとめた。松江には茶道がほかの街よりも深く暮らしに根づき、品のよい和菓子はみやげ物としても珍重されているが、江戸時代の“大名茶人”松平不昧(ふまい)とならんで、あるいはそれ以上に、茶道の普及にはたした代々長右衛門の功績は大きい。

 23代目は知事時代、数々の博物館や美術館の設立にも奔走した。

 いま松江をおとずれる人がおそらく例外なく感じる文化の馥郁(ふくいく)たる薫りは、23代目を頂点とする代々の長右衛門が、人知れず香を焚くように積み重ねてきた結果ともいえるのである。山林王が地域の文化におよぼした影響の大きさという点で、島根の田部家にならぶ者はいまい。

 しかし、こうした逸話をつねづね聞かされて育った25代目の真孝さんは、中学生のころ、いずれ「長右衛門」を継がなければならない自分の立場に重圧を感じたこともあったという。

「やさぐれていたといいますか」

 と、田部さんは笑って当時をふりかえる。

「まだ中学生ですから、現実の自分と(将来の自分とのあいだに)差がありすぎて、なんとなく精神的に不安定になってましたね。家庭教師の先生に、勉強はそっちのけで相談にのってもらったりしたこともあります。でも、高校生になってから、だんだん落ち着いてきました」

【次ページ】父との別れ

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