インタビュー・対談
第150回記念芥川賞&直木賞FESTIVAL

公開対談
浅田次郎×林真理子
「小説講座・人物造型の舞台裏」

第150回記念芥川賞&直木賞FESTIVAL

菊池寛が昭和10年に創設した芥川賞、直木賞が150回を迎え、記念イベント「芥川賞&直木賞フェスティバル」が丸の内・丸ビル1階「マルキューブ」にて2014年3月1〜2日に開催されました。
このイベントの「トリ」をつとめられた、林真理子さんと浅田次郎さんによる対談を再録してお届けします。

――直木賞選考委員の林真理子さんと浅田次郎さんにご登場いただきます。ご覧のようにおふたりともたいへん艶(あで)やかなお着物姿で。直木賞選考委員会は、築地にあります「新喜楽」という老舗の料亭で行なわれるのですが、この選考会にもお二方はよくお着物でいらっしゃいます。林真理子さんは1985年、「京都まで」、「最終便に間に合えば」の2編で直木賞をご受賞されました。お隣の浅田次郎さんは1997年に短編集『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞をご受賞されております。現在はお二方とも選考委員として新たなご受賞者を迎えるお立場にいらっしゃいます。本日は、小説というのはどういうふうにしてできあがっていくんだろうというのを主なテーマとして、お二方にお話しいただこうと思っています。

 まずデビューの頃、そして直木賞ご受賞の頃のお話しを、当時の心境や生活の変化なども含めてうかがいたいと思うのですが、浅田さん、いかがでしょうか。

浅田 私はデビューが遅くて、初めて本が出たのが39歳でした。当時としては遅い、という感じを持っていましたね。その後、吉川英治新人賞をいただき、45歳で直木賞をいただくことになりましたが、その前の年に1度、落ちてまして、『蒼穹の昴』で。そのあたりからものすごく忙しくなったんです。だから受賞前後っていうのは、ホント忙しかったですね。ベッドで寝た記憶がほとんどない。24時間机に向かって、寝るときは座椅子をうしろに倒しただけっていうのが何ヶ月も続いたような、そんな印象があります。

 私はその10年前ほど前の受賞ですが、31歳のときでした。候補は4回目。直木賞を獲る前というのは、作家はニンジンをぶら下げられているようなものだから、必死に走るわけです。当時、すでにテレビにも出まくっていまして、タレントだかなんだかわからないようなお姉ちゃんだったんです。だから、いただいた時にも、そんなに好意的には受け取られなかったですね。書いて書いて、寝ないで書いて、私もあの頃よく倒れました。ホテルに缶詰めになって、昼も夜も書いていたので。その頃思い出すのは、あるときタクシーに乗ったら運転手さんが、「林真理子さんだよね? いま何で食べてるの?」って言われたんです、直木賞獲る前に。ああ、作家としての知名度を上げないと、そういうふうに見られるんだなあと思いました。テレビから消えたからもう食べられないんじゃないかと思われるような、そんな状況だったので、受賞したときはうれしかったですね。

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