謎が解けたら、絵画は最高のエンターテインメントになる
『中野京子と読み解く 名画の謎――ギリシャ神話篇』 (中野京子 著)

西洋絵画は苦手、という人は少なくないでしょう(それかあらぬか、日本の美術館の多くは赤字の由)。
何しろ長いこと美術教育では、絵は自分の感性で見るのが良し、とされてきました。知識は余計な先入観を与えるだけの不要なもの、作品と向き合うときは白紙状態で、色彩やタッチや空気感を全身で味わえ、と言うのですから、無駄にハードルが上がって大変です。何も感じない自分は途(と)轍(てつ)もない鈍感に違いないと嫌気がさす、あるいはきれいな風景画ばかり見て飽きがくる、ということになりかねません。
絵を「感じて」ほしい、というのは画家側の、とりわけ印象派以降の画家たちの要求にすぎず、見るほうはそれに従う必要など全然ないのです。まして印象派以前においては、そもそも意味あるものが描かれているのですから、その意味がわからない限り、永遠に「つまらない」ままなのは当然といえます。風俗習慣も歴史も宗教も全く違うのに「感じる」ことのできるものなど、たかが知れているからです。幼子イエスと気づかなければ、いやにひねた顔つきの可愛くない幼児だな、と感想を持つのが関の山ではないでしょうか。
もうひとつ、美術館から足を遠ざけさせる要因として、日本人の生真面目さがあげられるかもしれません。絵一枚見るのさえ、「高尚な芸術作品を鑑賞する」と身構え、勝手に苦悶して、さっぱり楽しめない。疲れるから行きたくない、となってしまう。でも小説家が全て純文学作家ではないように、画家も皆が皆ゴッホというわけではありません。王侯貴族や教会からたんまり報奨金をもらうため、今度はどんな工夫を凝らそうかな、と考えて(結果的に)大傑作を産みだす画家のほうがはるかに多かったのです。
考えてもみてください。映画もテレビもない時代、絵画は一大エンターテインメントでした。動画に慣れすぎた現代人は忘れがちですが、当時の人々にとって絵はちゃんと動いて見えたのです。キャンバスの上で進行するドラマにワクワクしたのです。空から飛翔してくる天使の姿に、「おお!」と驚いたのです(『マトリックス』で、キアヌ・リーブスが弾丸をよけた、あの衝撃的映像に「おお!」と叫んだ我々と全く同じように)。
娯楽としての絵を取りもどそう!
声を大にしてそう言いたい。
そのためにはギリシャ神話をちょっぴり頭に入れること。それだけで格段に絵を見る歓びが増します。
















