1分書評

書くことと描くことはサイコセラピーだ。
博覧強記の2人による白熱の絵画論!

『絵の言葉』 (小松左京×高階秀爾 著)

ヤマザキ マリ

忙しい朝も1分で名著に出会える『1分書評』をお届けします。
今朝はヤマザキマリさん。

 自分が絵や美術史を学んでいたからかもしれないが、学生ではなくなってから絵画論や美術の批評などは殆ど読まなくなった。自分が漫画家になって、書籍販売サイトなどで一般読者からレビューを書かれるようになってからは、誰かの生み出した作品について主観的な見解を一方的に述べているような文章が更に苦手になった。見たものの読んだものの感想を告げる時、言葉で互いに真相を探り合うのと違って、一方的な文章には邪知深さが籠る。にもかかわらず、絵画の見方や意味の受け取り方について延々と語られるこの本にすっと入って行けたのは、拮抗したレベルの知識を持った2人の対談で構成されていたからだ。

 美術史学者兼評論家である高階秀爾氏の著書は学生時代にもかなりの冊数を読んだが、その高階氏の対談相手が博覧強記の作家、小松左京氏というのが頼もしく、そして魅力的だった。これが美術評論畑の2人による対談だったら、恐らく手に取ることは無かっただろう。

1967年東京都生まれ。84年に渡伊、フィレンツェの美術学校で美術史・油絵を専攻。97年に漫画家デビュー。2010年、『テルマエ・ロマエ』で手塚治虫文化賞短編賞受賞。900万部のベストセラーに。他に『スティーブ・ジョブズ』『プリニウス』、エッセーに『男性論 ECCE HOMO』など。CREA WEBにて「立っている者は母(リョウコ)でも使え!」連載中。

 旧版の紹介文には『絵は言葉である。それ自体に意味を持っている。その意味を読み取る文法と辞書が、「言葉」と同じように「絵」にもある。本書は、古今東西の絵画にそくしつつ、画像の持つシンボリックな意味をどう探り、絵の発するメッセージをどう解読するかを具体的に示しながら、人類社会にとって「絵」とは何か、何でありうるかという本質的な問題を追及したもの』とあるが、その問題の追及をとことん幅広い見解で極め、思いがけない方向から深く掘り下げて行くのが、この本における小松左京氏の役分担だ。

 例えば高階氏がアルハンブラの壁面装飾にあるアラブ文字には、装飾的意味と同時に日本の書道のような(「書くこと」の精神的な)意味もあるのではと提示すれば、小松氏はカイロのマーケット裏で銀盆に象嵌している職人が、ひとつの作業が完成してしまうと次にまた何か考えなければならないから悲しい、と不安を口にしながら、2年かけても3分の2しか作業をすすめられていないという話で返す。「あれは一種の巨大なサイコセラピーではないか」と。小松氏はその昔漫画も手がけていたが、恐らくその時に同様のサイコセラピー感覚を経験していたのであろう。文化人類学的見方に、細かい作業がもたらす精神作用という特異の解釈を絡めることで、読者は絵画論だけではおさまり切らない世界観への探究心の種を撒かれた感覚に陥るのだ。

 厖大な情報量と好奇心をエネルギーに生きていた小松左京という作家の持つ分析フィルターはとにかく容赦が無い。一枚の絵が、絵画というジャンルから一つの宇宙に姿を変える、その有様をこの対論ではじっくりと心行くまで堪能できるのである。

古代ポンペイの日常生活

本村凌二・著

講談社学術文庫 定価:本体1000円+税 発売日:2010年3月

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