解説

論理と情緒を兼ね備えた人

『無私の日本人』 (磯田道史 著)

解説藤原 正彦|数学者・作家

 磯田道史さんの名前を知ったのも文章を読んだのも、二〇〇三年の新潮ドキュメント賞選考時が初めてだった。その年に出版された『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』が最終候補作五点の一つに残ったからである。専門の論文しか書いたことのない気鋭の若手歴史研究者が、加賀藩猪山家の家計簿について書いた本では、どう見ても退屈そうだとまず思った。ただ、「算」という文字が数学者の私に少しだけ興味を抱かせた。

 読み出したら止められなかった。作家だった私の父は、「最後まで一気に読んだ」という感想を最も喜んだ。父にとって傑作とは、どんな理屈より「最後まで一気に読める本」だったのだ。『武士の家計簿』はそんな本だったうえ、日本近代史の見直しにもつながりうる学問上の業績とさえ言えるものだった。この著者は今後もこのような秀作を書ける人と確信した。私は受賞作として躊躇せず強く推した。

 磯田さんにお会いしたのはその二時間後だった。選考委員達がワインなどを飲んでいる所へ、受賞を聞いた彼が駆けつけたのだ。すれた所のみじんもない真っすぐの人だった。初々しい独身の好男子とあって、熟女作家や熟女編集者に散々からかわれていた。「図書館や古本屋などで古文書を一日中読んでいる時が一番幸せ」と彼が語るのを聞き、「本当に純粋なのだ」と思ったり、「このような資質に恵まれていてうらやましい」と思ったりしながら、私は白皙の新人を眺めていた。立派な受賞者でよかったと思った。

 さて本書は、歴史に埋もれた三人の人物に焦点をあてている。一人は穀田屋十三郎という、伊達藩の貧しい宿場町の商人である。彼はさびれて行くばかりの町をどうにか立て直そうと数人の商人を誘い、説き伏せ、破産はもちろん一家離散をも覚悟でどうにか千両を集め、それを財政難の伊達藩に貸した。それの生み出す毎年の利息をそのまま貧しい町民に配る、という奇手で町を救ったのである。そればかりか、自分の行なった行為を善行と思ったり口外したりすることを、家訓として子孫代々に禁じたのだ。

 もう一人は、日本一の儒者、日本一の詩文家とも言われた中根東里である。一切の栄達を望まなかったため、引く手あまたにもかかわらず仕官しようとせず、一生を極貧に甘んじた人物である。この不世出の詩人が世に知られていないのは、彼が自らの詩文を片端からかまどの火にくべてしまったからだ。稀有絶無の詩才と後に呼ばれたのは、わずかに残された遺稿によるものである。村民の作ってくれた小さな茅葺きの庵に住み、そこで細々と塾を開き、村人に万巻の書から掴んだ人間の道を平易に語り続けたのである。

 三人目は津藩藤堂家の高貴な血を引きながら、訳あって身分の低い武士の養女となったことから、数奇な運命をたどった江戸後期の絶世の美人、大田垣蓮月である。二度の結婚で四人の子を産んだが、二人の夫には病死され四人の子には夭折された。剃髪して出家した彼女は歌人として名をなすと同時に、自作の焼き物に自詠の和歌を釘彫りする蓮月流を創始した。彼女も自らの歌集の出版を強引に差し止めるなど名誉を求めなかった。焼き物で手にした金は飢饉のさいに私財を投げ打って貧者を助け、人々の便利のため加茂川に橋をかけるなど慈善事業に勤んだ。旧幕府軍追討の旗を上げた西郷隆盛には、「あだ味方勝つも負くるも哀れなり同じ御国の人と思えば」の歌を送り自重を促したという。西郷が江戸城総攻撃を思い止まったのは、勝海舟や山岡鉄舟のおかげというよりこの歌のおかげとも言われる。

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無私の日本人
磯田道史・著

定価:本体590円+税 発売日:2015年06月10日

詳しい内容はこちら

「穀田屋十三郎」(『無私の日本人』所収)原作
殿、利息でござる!

出演:阿部サダヲ 瑛太 妻夫木聡 ほか
監督:中村義洋
5月14日(土)全国ロードショー

(C)2016「殿、利息でござる!」製作委員会

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