自著を語る

私とスパイたちとの関わりを書く

『私を通りすぎたスパイたち』 (佐々淳行 著)

佐々 淳行

 二〇一四年(平成二十六年)に、「最後の手記」と銘打ち、『私を通りすぎた政治家たち』を出した。そして、二〇一五年(平成二十七年)に、「最後の告白」と称して『私を通りすぎたマドンナたち』を刊行した。

 そして、二〇一六年(平成二十八年)に、本書『私を通りすぎたスパイたち』を刊行することになった。しいていえば「最後の告発」というべき書だ。

 カバーの袖や帯などにうたっている「ゾルゲ・ラストボロフ・レフチェンコ」といえば、戦前、戦中・戦後の日本を揺るがした大スパイ事件の張本人たちだ。詳細については、本文で、いろいろと綴っていきたいが、実は私は、これらのスパイ事件に、間接であれ、直接であれ、関与しているのだ。

 一九三〇年(昭和五年)生まれの私が、一九四一年(昭和十六年)に発生したゾルゲ事件と何の関係が? と読者は思われるかもしれない。しかし、大いに関係があるのだ。というのも……。

 

 ドイツのフランクフルター・ツァイトゥング紙の記者として東京に在住していたゾルゲが、実はソ連のスパイであり、朝日新聞記者の尾崎秀実(ほつみ)と共に、検挙されたのは、太平洋戦争開戦直前の一九四一年(昭和十六年)十月のことだった(新聞で報じられるのは翌年の五月になってからだが)。当時の私はまだ小学生だ。しかし、尾崎は朝日の記者であり、近衛文麿を囲む「昭和研究会」に彼を誘ったのが、同僚でもあった父・佐々弘雄だったのである。

『私を通りすぎた政治家たち』でも触れたが、父は、九州大学教授時代に「九大事件」で、「アカ(共産主義者)」の嫌疑がかけられ大学を追放された身だった。そのあと、朝日新聞に入っていたものの、親友の尾崎が逮捕されたということで、かなり動揺していたのを覚えている。なにしろ、当時、特高や憲兵が、常に我が家を監視対象にしていたからだ。

「最後の内務大臣」でもあった安倍源基は「佐々弘雄は必ず捕まえてやる」と豪語していたのだ。

 

 尾崎が逮捕されたことをいち早く昭和十六年十月の段階で知った父は、私と兄(克明)に、「風呂のたきつけとして、この書類を燃やしなさい」と命令をしたのだ。

 当時、風呂は今と違ってガスで沸かしたりはしない。どこでも薪や紙などで沸かしていた。庭で、重要書類を燃やしたりしたら、すぐに特高がやってくるだろう。しかし、子供たちが風呂を沸かすのなら咎(とが)められることもない。何日かかけて、父のメモや手紙のたぐいをせっせと焚きつけにした記憶は子供心に鮮明に残っている。

 もちろん、父が、尾崎やゾルゲと同じくソ連のスパイだったというわけではない。あくまでも、尾崎との「交友」関係を示すような書類やメモが、万が一没収されたら、些細なことでも、ソ連スパイとの同調者だとのレッテル貼りをされ、不当逮捕されるかもしれない。それを恐れての自衛行動だったと思う。

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私を通りすぎたスパイたち
佐々淳行・著

定価:本体1,500円+税 発売日:2016年03月25日

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