解説

家族というのは、ともに過ごした時間の記憶

『ミッドナイト・バス』 (伊吹有喜 著)

解説吉田 伸子|書評家

 志穂は志穂で、一度結婚に失敗した身であり、利一には多くを望まないと決め、ひたすら“待つ女”でいたものの、利一から家に招かれたことで、一度は甘い夢を見る。けれど、美雪が利一の家にいた(風邪でダウンして、一時的に利一の家にいたのだ)場に出くわしたことも重なり、志穂は、自分には超えられない“家族の壁”を感じてしまう。

 物語は、この利一たちそれぞれのドラマを描きつつ、各章ごとに、深夜バスの乗客たちのドラマをサイドストーリーとして描き出す。これがまた、実に実に沁みる様々な家族の物語で、読んでいて鼻の奥がつんとする。なかでも、第一章に出てくる、東京の大学に進学する息子とともに上京した母親のエピソードが際立っている。離婚後、女手ひとつで育てた息子。十分とは言えないけれど、自分にできるいっぱいいっぱいのことはしてきた彼女が、息子になまりが恥ずかしい、声が大きい、と言われて口喧嘩になったことを、深夜バスの車中で反省するくだり。そして、彼女は思うのだ。

「友達はできるだろうか。都会のなかで居づらさを感じることはないのだろうか。それともすぐに馴染んで、これからずっと東京で暮らしていくのだろうか。もう……帰ってこないかもしれないな。一緒に暮らす日は、もうないかもしれない」

 成長した息子に対する誇らしさ。離れ離れになる寂しさ。同じバスに乗っている三十人近い女たちを見て、彼女は思う。みんな、どっこい、どっこい。きっと、みんな頑張っているんだ。泣くもんか。

 この母息子のエピソードが強く響くのは、名もなき母と息子が、遠い昔の利一と母親に重なるからだ。嫁をいびり出すような、ご近所からも距離を置かれているような、そんな利一の母だったけれど、利一を思うその気持は、きっとこの母親と同じだったのでは、と思うからだ。いや、利一と母親に限らず、田舎から都会に出た子を思う親の気持というのは、いつの時代でも同じ――ただただ、その子の幸せを願うもの――なのだ。

 物語のいっとう最初に、このサイドストーリーが置かれていることで、本書が家族の物語であることが、読み手に自然に伝わってくる。伊吹さんの“語り方”の巧さは、こういう細部によく表れていて、他にも怜司が突然実家に帰ってきたその理由のあかし方とか、彩菜が美雪に対して閉ざしていた心を開く瞬間とか、細心の心配りがなされている。それはきっと、伊吹さんに、物語というものに対する礼儀というか、敬いの気持があるからではないか、と私は思う。物語――自分の、という小さな意味ではなく、文字で描かれたあらゆる物語――を大切に思っている気持から生まれる丁寧さ。それが伊吹さんの“語り方”にはあるのだ。

 本書が単行本として刊行された時、私は書評でこんなふうに書いた。

「深夜バスは、夜から朝に向かって走るバスだ。どんなに夜が長くとも、新しい朝は必ずやって来る」

 本書を再読して思う。新しい朝は、そのものが未来であり、希望なのだ、と。朝が来るそのことを、私たちは信じて生きていくのだ、と。本書は、私の、そしてあなたの人生を、そっと肯定してくれているのである。

ミッドナイト・バス
伊吹有喜・著

定価:本体880円+税 発売日:2016年08月04日

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