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軍人として生きた悩みから、戦後歴史研究を志した三笠宮殿下

軍人として生きた悩みから、戦後歴史研究を志した三笠宮殿下

 気さくな人柄で知られた三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと)親王は、昭和天皇の末弟で天皇陛下の叔父にあたる。大正四年(一九一五年)、大正天皇の四男に生まれた。

 陸軍士官学校卒業後、昭和十年(一九三五年)、三笠宮家が創立された。昭和十六年、陸軍大学を卒業。高木正得(たかぎ・まさなり)子爵の次女、百合子さまと結婚し、三男、二女に恵まれた。

 戦時中は支那派遣軍参謀、大本営陸軍参謀などを務めたが、身分は秘匿され、「若杉参謀」の名前で任務についた。赴任中に軍紀の乱れや残虐な行為を指摘する文書を提出していたが公にされることはなく、平成六年(一九九四年)になって発見された。

 戦後、「それまでの不自然きわまる皇室制度――もしも率直に言わしていただけるなら、『格子なき牢獄』――から解放された」(三笠宮崇仁著『帝王と墓と民衆』より)と率直な気持ちを述べた。

 軍人としての経歴を苦悩に満ちて振り返り、「軍は歴史研究が不十分だったのではないか」との思いから、歴史研究を志した。昭和二十二年から三年間、東京大学文学部の研究生となり、ヘブライ史を学んだ。昭和二十九年、日本オリエント学会設立に参加、初代会長に就任する。

 東京女子大学や青山学院大学の講師、東京芸術大学の客員教授として電車やバスで通勤、教壇に立った。写真は昭和四十二年五月、青山学院大学にて撮影。

 二月十一日を「神武天皇即位の日」として、戦前の「紀元節」を復活させようとした動きを学者の立場から批判した。

 俳句や登山、社交ダンス、フォークダンス、スケート、乗馬と幅広い趣味を持ち、ラジオやテレビの教養番組にもしばしば出演して親しまれた。

 白寿(九十九歳)を超える長寿をまっとうしたが、長男(寬仁親王)、次男(桂宮殿下)、三男(高円宮殿下)に先立たれた。平成二十八年十月二十七日薨去。

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

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