知られざる日本の山林王たち

第一回 山林と日本文化の深いつながり

プロフィール

のむら すすむ/1956年生まれ。ノンフィクションライター、拓殖大学国際学部教授。
上智大学外国語学部英語学科中退後、フィリピンに留学。アテネオ・デ・マニラ大学で学ぶ傍ら取材・執筆活動を始める。帰国後、『フィリピン新人民軍従軍記』(講談社+α文庫)を発表。アジア・太平洋地域、先端医療、メディア、事件、人物・企業論などの分野で取材と執筆を続けてきた。著書に『コリアン世界の旅』(講談社文庫・大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞受賞)、『アジア 新しい物語』(文春文庫・第11回アジア太平洋賞受賞)など。他に、創業百年を超える日本の老舗企業の生き残りを丹念に追った『千年、働いてきました』(角川グループパブリッシング)、在日中国人の「現在」に迫った『島国チャイニーズ』(講談社)がある。
朝日新聞、読売新聞の書評委員を歴任。講談社ノンフィクション賞選考委員。

「もののけ姫」にも登場する出雲地方の山林王

 大河原さんは会話の中で各地の山林王たちの名前をあげたが、僕が知っていたのは「田部長右衛門(たなべちょうえもん)」という名前だけであった。

 田部長右衛門――、島根県の出雲地方に居をかまえる山林王の当主が代々名のってきた名前で、現在の田部長右衛門は25代目にあたる。 

 日本海側の島根に拠点がある田部家の山を通らずに、瀬戸内海には抜けられない。そんな噂が語り継がれてきたほどの、文字通り「日本一の山林王」である。

 島根の中心地・松江には「小京都」の異名があり、茶菓子の老舗の多さで有名だが、江戸時代に京都から茶道を松江に持ち込んだ、ときの松江藩主とともに茶道を広めたのが、ほかならぬ田部長右衛門である。それだけではない。宮崎駿の『もののけ姫』にも登場する〝たたら〟製鉄の大元締めも田部長右衛門なら、元首相の竹下登を陰で支え中央政界に押し上げたのも田部長右衛門なのである。

 僕がなぜこんなことをそらんじられるかといえば、いまから20年ほど前、当時首相だった竹下のバックグラウンドを取材するために、島根各地を歩き回ったからだ。そのとき出会った人々の口をついて何度も出た名前が「田部長右衛門」だったのである。

 司馬遼太郎は『街道をゆく』で、23代の田部長右衛門に会って話を聞いているが、その際こんな紹介の仕方をしている。

「出雲飯石(いいし)郡吉田村は、地図の上では虫眼鏡で見てやっとわかる程度の地名にすぎないが、この村に、中国山脈のほとんどを所有しているといわれる大山林地主の田部長右衛門家が存在することで、その方面の学者の世界では高い知名度を持っている」(『街道をゆく 7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか』、読み仮名は筆者)

 その人物の名を、ケンタッキーフライドチキンを日本に広めたご本人の口から再び聞こうとは思わなかった。ましてや、日本一の山林王と、アメリカのファースト・フードの代名詞とが結びつくとは、思いもよらぬことであった。

 田部家ほどの規模ではないにせよ、日本各地には山林王がおり、多くは数百年前から現在まで、それぞれの地域の政治・経済ばかりでなく文化にも深い影響をおよぼしてきた。田部家を例に引くなら、たたら製鉄から、茶の湯を経て、ケンタッキーフライドチキンに至るまで、そのときどきの最先端の文化を地元にもたらしてきたのである。

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