本のなかの旅

宮本常一

――歩かなければ見えないもの【連載第一回】

湯川 豊 (エッセイスト)

旅のありさまの聞き書

『忘れられた日本人』(岩波文庫)

『忘れられた日本人』(一九六〇年刊)は、民俗学者・宮本常一の代表作とされている。代表作とされることに別に異存はないけれど、これは果して民俗学の学問的著作だろうかという思いを、私はずっともちつづけている。

 思いきって、「旅の本」とでも呼んだほうがすっきりする。旅をした結果、できた本。また旅について人びとが語ったことを聞き書した本。そんなふうに考えたほうが座りがいいのは、宮本常一が生涯にわたって旅をする人、歩く人だったからかもしれない。この歩く人は、地方を歩きながら、人びとの暮らしのなかに入っていって農業技術や生活改革の相談相手になる強力な実践者でもあった。民俗学者の座る場所から、もともとハミ出している。

『忘れられた日本人』は、全十三篇の文章を一つの民俗学的テーマが貫いているわけではない。また、一定の地域を対象にした何らかの報告でもない。一篇ずつが特有の色あいをもつエッセイ群で、そのなかでも目立つのは、かつて旅をした人の、旅のありさまの聞き書である。

 たとえば、宮本の郷里、山口県の周防大島にいる八十すぎの叔母の話である(「女の世間」の章)。

「昔にゃァ世間を知らん娘は嫁にもらいてがのうての、あれは竈(かま)の前行儀しか知らんちうて」軽んじられた。娘は年頃になると友達同士で示しあわせて、そっと家を抜け出して旅に出た。母親は代々のことだから容認、父親は見て見ぬふりだった。

 この叔母は、十九の年に四国に渡った。土佐をのぞく三国(伊予、讃岐、阿波)を、友達と連れ立って歩きまわる。これを女四国といった。明治中頃のことである。

 そうやって連れ立って歩く娘の組がたくさんいた。大分から来ているグループにも会った。どこでも気安く泊めてくれる善根宿(ぜんこんやど)というものがあって、宿には困らなかった。娘たちはときには門口で和讃や詠歌をあげて、わずかな喜捨をもらった。家を出るときには二円持っていたのが、戻るときには五円にふえていた、と話のなかにある。

 宮本が、そういう旅の楽しみは何であったかと尋ねると、叔母は道連れができたこと、と答えている。他人と知りあい、それによって世間を知る。それが娘たちの旅の意味であった。

「旅へ出ていき、旅の文化を身につけて来て、島の人にひけらかすのが、女たちにとっては一つのほこり」だったと宮本は書いている。そういう知識の体得の一つに、場所言葉(都会の言葉)があり、いざというときにはちゃんとしたものいいができることが、甲斐性のある女の条件だった。

 結婚前、ある年頃になって娘が旅することが「女の学校」であった。これはもしかすると、瀬戸内海をめぐる地域の一種のゆたかさを示している話かもしれない。飢饉に襲われることの多い東北の寒村では考えられないような風習ではあるけれど(宮本はそれについてはコメントしていない)、ともあれ目からウロコが落ちるような話である。女性が家に閉じこめられ、しいたげられているのとは別の世界が「女の世間」には見えている。

【次ページ】有名な「土佐源氏」の一篇

本のなかの旅

湯川 豊・著

定価:1470円(税込) 発売日:2012年11月28日

詳しい内容はこちら

新着記事 一覧を見る RSS

登録はこちら