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暗黒街の一大勢力、「怒羅権」。
闇に包まれたその素顔に肉薄する

『怒羅権 Dragon ―新宿歌舞伎町マフィア最新ファイル』 (小野登志郎 著)

永江 朗Akira Nagaeフリーライター

 とてつもなく強くて悪くて恐ろしい集団。ぼくが怒羅権について抱いていたイメージだ。はじめてその名を聞いたのは何年前になるだろう。暴走族を取材している編集者が興奮気味に教えてくれたのを覚えている。

 編集者がある暴走族を取材していると、彼らが妙にそわそわしはじめたのだという。理由を聞くと、「今夜は怒羅権が来るかもしれない」とメンバーのひとりがつぶやいた。名前を口に出すだけで呪いがかかるような、そんな怯えかただったそうだ。怒羅権につかまると、男は半殺しにされ、女は輪姦され、アキレス腱を切られて全裸で山の中に捨てられる、なんていう噂もあるのだと編集者はいっていた。

 やがて怒羅権は伝説のようになっていった。理由は彼らがほかの暴走族と違っていたからだ。たいていの暴走族は暴力団と関係がある。自分たちでは収拾できないトラブルを起こしたとき暴力団に頼ることがあるし、暴走族を卒業して暴力団員になるメンバーもいる。だから暴走族ともめ事を起こしたら、そのバックの暴力団と話をつければいい(あとあとたかられたり、面倒なことになるけど)。ところが怒羅権にはそういうバックがない。

 また、目立ちたがりやが多い暴走族が雑誌の取材などを喜んで受けるのに対し、怒羅権はメディアに出ようとしない。秘密主義だからではなく、メディアに出ることで虚栄心を満たすような性向がないのだ。だから実態がわからない。わからないから怖い。

 そして、これらの異質性は、怒羅権のメンバーが中国残留孤児の二世、三世らによって占められていることによると解釈されていた。実態がわからないまま、ますます彼らの凶悪なイメージはふくらんでいった。

 やがて怒羅権はたんなる暴走族のひとつから、チャイニーズ・マフィアなどと結びつき、日本の暗黒街での一大勢力と目されるようになっていった。敗戦直後の愚連隊のように。相変わらず怒羅権についての情報は乏しく、悪い神話ばかりが拡大していった。

 2009年に刊行された小野登志郎の『龍宮城』(太田出版)は、取材不可能といわれていた怒羅権の内側を描いたノンフィクションである。舞台は新宿、歌舞伎町。この街に生きる、怒羅権とつながりのある人びとを、著者自身がこの街に棲みつくようにして取材した傑作だ。それが今度、『怒羅権』と改題されて文春文庫に入った。

 この本で小野は自分を「迷いイヌ」にたとえている。犬、つまりその目の高さは健全なる一般市民よりもはるかに低く、せいぜい地上50センチぐらいのところにある。この姿勢に感動する。小野は取材相手を見下ろすのではなく、同じか、あるいは少し低いところから見つめているのだ。ときには畏怖と共感さえ込めて。取材対象につながりそうな店を選んで夜ごと飲み歩き食べ歩く。ほとんど歌舞伎町にとけこんでしまっている。頑丈な胃腸と肝臓がちょっとうらやましい。

 小野が取材する人びとは、ぼくならあまりお近づきにはなりたくない男女ばかりである。彼らは突然、激昂して暴力をふるったり、売春や薬物のビジネスに手を染めていたりもする。小野は相手をなだめ、一緒に酔うことで信頼を得て、少しずつ話を聞き出していく。油断は禁物だ。敵は隙あらば小野を自分たちの仲間に引き入れようとしている。たとえば非合法な薬物を一緒に楽しまないかと誘ったりして。怒羅権たちをたんに“戦争の犠牲になったかわいそうな人”なんて見おろしていては食い物にされる。小野は地上50センチの目で冷静に見ている。

 この本で怒羅権の実態は見えてきた。だが、彼らを怒羅権と呼ぶか、中国マフィアと呼ぶか、あるいは本書文庫版あとがきで紹介されるように「チャイニーズドラゴン」(警視庁による最近の呼称だそうだ)と呼ぶかはともかく、その輪郭は、取材をすればするほど曖昧になっていく。メンバーかメンバーでないか、日本人なのか中国人なのか、彼らにとって戻る場所はどこなのか。それはたんに国籍や民族のことではない。自分は何なのかと、彼らは問い続けている。「組」だの「親分」だのという幻想を信じるふりができる暴力団や暴走族は幸いだ。怒羅権たちは底なしの闇を抱えている。

 怒羅権の一人が小野に「世界のマフィアって知っていますか?」と問い、語るシーンがある。「その辺で普通に働いている人間が、組織の成員になったりしているんです。皆、普通の人間なんです。日本ぐらいじゃないですか、ヤクザなんて」と男はいう。そして、日本もやがて普通のサラリーマンや大企業の社長がヤクザやマフィアの構成員であるような時代になるかもしれない、と予言するのだ。予言なんて当たりっこないさ、と笑えるか?

掲載本の話 2012年5月号

怒羅権 Dragon
小野登志郎・著

定価:680円(税込) 発売日:2012年04月10日

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