知られざる日本の山林王たち

第五回 北の森を訪ねて

プロフィール

のむら すすむ/1956年生まれ。ノンフィクションライター、拓殖大学国際学部教授。
上智大学外国語学部英語学科中退後、フィリピンに留学。アテネオ・デ・マニラ大学で学ぶ傍ら取材・執筆活動を始める。帰国後、『フィリピン新人民軍従軍記』(講談社+α文庫)を発表。アジア・太平洋地域、先端医療、メディア、事件、人物・企業論などの分野で取材と執筆を続けてきた。著書に『コリアン世界の旅』(講談社文庫・大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞受賞)、『アジア 新しい物語』(文春文庫・第11回アジア太平洋賞受賞)など。他に、創業百年を超える日本の老舗企業の生き残りを丹念に追った『千年、働いてきました』(角川グループパブリッシング)、在日中国人の「現在」に迫った『島国チャイニーズ』(講談社)がある。
朝日新聞、読売新聞の書評委員を歴任。講談社ノンフィクション賞選考委員。

賢いヒグマ

 今回と次回の2回に分けて、北の森を訪ねよう。

 北海道の森の中で、30年も40年も植林や伐採にたずさわってきた男たちの話を聞いてまわっていたときのことだ。

 僕は当たり前のように、ヒグマとの遭遇について尋ねた。

 奄美大島の山で働く男たちが、片時も毒蛇ハブの存在を忘れないのと同じく、北海道の山中での労働は、ヒグマへの恐怖と隣り合わせにちがいないと思ったからである。

 ところが――。

「ヒグマに遭ったこと、一度もないんですよ」

 異口同音に返ってきた答えが、これである。

 我が耳を疑った。思わず聞き返した、まったくないのですか、と。

「いや、ほんとに、遠くからでもヒグマの姿を見たことないんですよね」

 誰に訊いても、答えは同様であった。

 いまから60年ほど前に出版された『北海道山林史』という1000ページを優に超える書物にも、山で働く人が万一ヒグマに遭遇したら、逆に「運がいいんだ」とひやかされるほど、めったにない出来事だと書かれている。現在よりもヒグマの数がはるかに多かった当時ですら、そうだったのである。

 ヒグマは、見かけによらず臆病で、警戒心が非常に強い。しかも、嗅覚は犬の4、5倍(一説には6、7倍)も鋭く、知能レベルも犬よりかなり上とされる。人が気づくずっと前に、ヒグマは気づいている。かりに人がヒグマに会いたいと熱望して森の中に分け入ったとしても、ヒグマはとっくのむかしに逃げ出しているのである。

 林業のあり方にも理由があるらしい。「アイヌ民族最後のクマ撃ち猟師」と呼ばれた姉崎(あねざき)等氏が、そのインタビューをまとめた『クマにあったらどうするか』で興味深い発言をしている。

 姉崎氏によれば、ヒグマは植林した場所をひどく嫌うのだという。好物の木の実がみのらないし、日なたぼっこが大好きな彼らにとっては日陰が多すぎるせいだ。

 それに、知能の高いヒグマたちは、人間がチェーンソーで大木を轟音とともに切り倒したり、ジープなどで林道を猛然と走り去ったりする様子を、木陰からじっと観察している。人間にはどれだけ力があるかを、ことあるごとに見せつけられ、とてもかなう相手ではないと恐れおののいているというのだ。つまり、林業はヒグマが敬遠する要素に満ちあふれているのである。

 それなら、姉崎氏のようなアイヌの狩人たちは、冬眠中のヒグマの巣穴をさがす以外に、どうやってヒグマの居場所を突き止めてきたのか。余談だが、あまりにもおもしろいので簡略に紹介したい。ようするに、カラスを利用するというのである。

 まず、あらかじめ仕留めておいたヒグマの内臓を切り刻んで、木の枝に一片ずつ刺しておく。カラスも頭がよいから、それらをついばむうちに、人間の意図を察し、獲物の分け前にあずかりたくて、ヒグマがいる場所の上空を群れ飛ぶようになる。「カラスが騒ぐと、クマがいる」。これが、アイヌの狩人たちの言い習わしとなった。

 ひるがえって、ヒグマの身になってみると、頭上で鳴き騒ぐカラスたちは、どれほど忌まわしく恐ろしく見えたことだろうか。

 僕はアイヌ民族についても、林業関係者たちに尋ねた。森の中でアイヌの人たちに出会ったことはあるか、と。その答えも、一様に「ない」なのであった。

【次ページ】開拓者にとって木は邪魔者

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